2008年1月14日 (月)

祈り

日本には、神に飢えた人がたくさんいます。
生活に祈りを持つようにしてください。
祈れば、心が澄み、心が澄めば、神が見えてきます。
神が見えれば神の愛が働いて、ことばでなく行動で愛をあらわしたくなります。
祈りは、愛を深くし、愛が奉仕を生みます。
日本の人も祈って下さい。
生活に祈りを持てば、貧しい人びとを知るようになります。
貧しい人を知れば、彼らを愛するようになり、助け、愛と平和の喜びをあたえます。

 マザーテレサ来日時に残した言葉より

私が今の仕事を続けられているのは、少ないながらも、キリストを手本とし、弱い人に仕えたいという気持ちからです。流されて、惰性で仕事をしてしまっていることが多い私ですが、一日のはじめに祈りをもって仕事を始める必要がありますね。このマザーの言葉を目にして、改めてそう思いました。

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2007年10月 3日 (水)

I am (私は今、ここに存在する)

私は過去を悔やみ、未来を恐れていました。
突然、神様が話しかけてきました。

「私の名前は、IAM(私は今、ここに存在する)」
神様は一呼吸おきました。
私は待ちました。
神様は続けました。

「あなたは過去の中に住む。過ちと後悔とともに。
それはつらい。私はそこにはいない。
私の名前は、I WAS(私は存在した)ではない。

あなたは未来の中に住む。問題と恐れと共に。
それはつらい。私はそこにはいない。
私の名前は、I WILL(私は存在するだろう)ではない。

あなたは、いま、この瞬間に住むことが出できる。
そこはつらくない。私はここにいる。
私の名前は、I AM (私は今、存在する)」


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作者不詳。ネット上で時々みかける詩です。
もし、この詩の出典、作者を知っている方がおりましたら教えてくださいませ。

神様は、過去も今も未来も変わらずに存在しますが、でも私たち人間は、過去や未来にとらわれずに、今を大事に、精一杯生きる、その中で、神様が、「今、おられる」ことを、感じることが出来るのではないでしょうか。

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2007年7月27日 (金)

Foot Prints

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。
一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
私は砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。


このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。
それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。
一番あなたを必要としたときに、
あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」


主はささやかれた。
私の大切な子よ。私はあなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。
あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」

マーガレット.F.パワーズ 著

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今回は、このあまりに有名な詩についてです。私がこの詩に出会ったのは、まだ求道中の時でした。最初はあまりピンとこなかったのですが、後になって自分が試練のとき、この詩のもつ大きな励ましが心に入ってきました。
神様と共に歩むこと、その喜びがこみ上げてくるようです。

この詩は歌にもなっています。この賛美については近日書きますね。

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2007年6月 8日 (金)

夕の祈り

一日の働きを終えたわたしに、やすらかな憩いの時を
与えてくださる神よ、あなたに祈り、感謝します。
きょう一日、わたしを支えてくれた多くの人たちに
たくさんの恵みをお与えください。

わたしの思い、ことば、おこない、おこたりによって、
あなたを悲しませたことがあれば、
どうかおゆるしください。
明日はもっと良く生きることができますように。

悲しみや苦しみの中にある人たちを、助けてください。
わたしが幸福の中にあっても、困っている人たちを
忘れることがありませんように。アーメン。

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今日もみなさん、それぞれの一日、お疲れ様でした。
今日は、一緒に、「夕の祈り」を祈ってみませんか?

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2007年6月 3日 (日)

「祈り」感謝でした!

先日、「祈り」というタイトルで、王子ママさんが教会へ行けるように、みなさんに祈ってもらいました。たくさんの方々が祈ってくださって感謝しています。mariyaさん、pisonさん、彩世さん、ミホコさん、さわさん、他コメントはなくても祈ってくださった方々、ありがとうございました。

先ほどメールがあり、実に3年ぶり教会に行くことができたとの、嬉しい報告を聞くことができました!!!
礼拝に出れただけではなく、グループで分かち合ったり祈りあったり、とても祝福された時間を過ごす事ができたとのことです。祈りあえる仲間が与えられたようです!

いろいろ大変な課題を持っておられるので、どうかなとずっと心配で祈っていましたが、みなさんのお祈りパワーもあって、一つ前に進むことができたようです。本当に嬉しく、またみなさんに感謝です。

たとえ、顔はわからなくても、こうやってみんなで、それぞれの地にあって、一つの課題を祈れる、こんなステキなことはありません。みなさんの力を、王子ママさんだけでなく、私も頂けたような気がします。

やっぱり「祈り」ってすばらしい!!!

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2007年5月12日 (土)

祈り

できれば、これを見て読まれたかは、一緒にお祈りくだされば感謝です。

<このブログ読者のOさんについて>

愛する天の神様。Oさんが、明日、本当に久しぶりに教会に行こうとしています。もしあなたの御心にかなうのあれば、Oさんの教会への道を開いてくださいますように。
Oさんの置かれた状況は、教会への道をとても難しくしています。

もし...、もし、まだ時ではないとしても、Oさんの教会への想いを、保ち守り続けて、条件が整ったときに、また教会へ行けるようにしてください。
かつて私が、心に傷を受けた妻をかかえ、教会に行けなかったときも、私の「教会にまた行くのだ」という意志を守り続けてくださったように...。

御手にお委ねして、主イエスキリストの名前によってお祈りします。アーメン。

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教会に行きたくても、行けない人はたくさんいることでしょう。仕事のこと、人間関係、自分の内の心のこと、信仰のこと。
教会に行ける事、それだけでとても感謝なのだということを改めて感じます。かつて、私も行けなかった者として。
明日も、一人でも多くの方が教会へ行ける様心よりお祈りします。

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2007年2月 9日 (金)

主よ、私をお使い下さい

主よ、今日一日、
貧しい人や病んでいる人を助けるために、
私の手をお望みでしたら、
今日、私のこの手をお使い下さい。


主よ、今日一日、
友を欲しがる人々を訪れるために、
私の足をお望みでしたら、
今日、私のこの足をお貸しいたします。

主よ、今日一日、
優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、
私の声をお望みでしたら、
今日、私のこの声をお使い下さい。

主よ、今日一日、
人は人であるという理由だけで、
どんな人でも愛するために、
私の心をお望みでしたら、
今日、私の心をお貸しいたします。

マザーテレサの詩です。私の最も好きな詩の一つです。この詩は、歌にもなっています。そちらも後日書きたいと思います。

毎日、毎日、このように祈って職場に行ける者でありたいのですが、現実には仕事をこなすだけでも大変です。でも、志だけでも、こうありたい、そう思っています。

真実から、このように祈れる者となれますように。

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2007年1月12日 (金)

What a friend we have in Jesus

なんと良き友、イエスよ 
我らの罪と悲しみを全て背負う
なんと素晴らしきことか 
神に全てを打ち明くるとは

我らはしばしば平和を失い 
不要な痛みに耐えている
それは神に全てを 
打ち明けようとしないからだ


多く挑み多く誘われ 
何処にも困り事はあれど
我らは決してくじけない 
祈りて主の所に持っていけるから

かくも良き友は無いであろう
全ての悲しみを分かち合うなど
イエスは我らの弱さを全て知っていて 
祈りて主の所に持っていってくれる


不安な心の重荷に苦しみ 
負荷に耐えられぬ弱さあろうとも
貴き救い手は必ず我らを保護し 
祈りて主の所に持っていってくれる

汝の友が望むなら 
祈りて主の所へ行かれよ
武器と楯を持って来られても 
そこに行けば安寧があるであろう


前回予告した、「慈しみ深き」の元詞です。アイルランド人のJoseph Scrivenが病床の母に送った詩です。1855年です。この詩がたいへん感動的だということで、多くの作曲家が曲をつけたのですが、その中のConverseのものが一番有名になったというわけです。もっとも曲自体は先に出来ていたそうですが。
最初は、作詞者不詳で出回っていたのですが、後にJoseph Scrivenのものだと判明したのだそうです。

すばらしい信仰の告白ですね。彼は、カナダに渡りそこで貧しい人々や体の不自由な人々とともに暮らし、食事を作ったり、薪をとったりしながら、伝道と詩作をして一生をすごしたそうです。そんな中から生まれたんですね、この詩は。今日は、この詩をかみしめながら一日過ごすことにしてみます。

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2006年12月24日 (日)

メリークリスマス!

今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

「いと高き所に、栄光が、神にあるように。
 地の上に、平和が、
 御心にかなう人々にあるように。」

ルカの福音書 2:10,11,14.

メリークリスマス!
皆様が、ステキなクリスマス・イブを過ごされますようお祈りいたします。

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2006年11月21日 (火)

自己の解放

マザー・テレサの残した詩の一つです。今回はそれを紹介してみます。

主よ、私は思いこんでいました。
私の心が愛に漲っていると。
でも心に手を当ててみて、 本音に気づかされました。
私が愛していたのは、他人ではなく、
他人の中の自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

主よ、私は思いこんでいました。
私は与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて、 真実がわかったのです。
私の方こそ与えられていたのだと。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

主よ、私は信じ切っていました。
自分が貧しい者であることを。
でも、胸に手を当ててみて、 本音に気づかされました。
実は思い上がりと妬みとの心に、
私がふくれあがっていたことを。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

3つの詩の最後に「私が、自分自身から解放されますように」が必ず入っています。無償の奉仕に身を捧げたマザー・テレサがこの言葉を発すると、なんと重みを持つことでしょう。人間というのは、本当に身勝手で、自己中心的です。それは、神様への信仰を明らかにしたクリスチャンでも同じことです。

私達も、出来る範囲でも良いから、自分自身を明け渡し、神様に仕えるものなりたいものですね。

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