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2007年4月12日 (木)

罪 @追憶

2000年正月、帰省してきた姉に、自分がクリスチャンになるかもしれないと話したところ、猛反対にあう。

しかし皮肉なものだ。一年前、自分はキリスト教を否定して、R宣教師やW師と激しく口論していた。そして今、今度は立場が入れ替わり、姉がキリスト教を否定して、私と激論を交わしている。私は、キリストのために姉の考えを否定した。しかも、姉の言うことは、かつて私が思っていたことと、いちいち重なっている。なるほど、確かに姉弟というべきか...。

17時間にも及んだ討論は、すれちがいのまま終わり、姉は帰っていった。

私は神様のために戦ったはずだ。それなのに、なんだろう、この虚しさと悲しさは。
正義は私の側にあるはず、勝ったのは私...。これが正義? そして勝利?

私の頭の中に、ある本の中に書かれていた事がよみがえってきていた。(※)

ちがう、負けたのは私だ。聖書に書かれていることは、キリストによる救いと愛。そして、キリストは身をもって、謙遜にへりくだり、私達に愛を示したではないか。私のしたことは、正義(聖書)をふりかざして姉を裁いただけ。これこそまさに罪ではないか。

罪...? これが罪か!

心の中で、封印していたある人(J)への感情がわきあがってきた。

だとしたら、Jのことはどうなる? 私は教会に来て学びの中から、「赦す」ということを知った。ずっとJを赦したいと思ってきた。祈ってきた。でもできなかった。10年以上赦せなかったことをどうして簡単に出来ようか。
しかし、今ならわかる。自分が悪くないと思っていれば赦すことなど出来ない。しかし、私はJの罪をいいことに、Jを断罪し続けてきた姿勢・態度はどうなる? 同じだ! 自分の正しさを疑わず、今回の姉に対するように裁き続けてきたのではないか!

頭の中で何かがはじけた...。

罪、神の赦し、キリストの十字架...。

止まっていたジグゾーバズル、その1ピース(罪)が埋まった。そして、同時にパタパタと全てのピースが埋まっていく。そんな感覚で、今まで頭でだけ理解していたことが、心の中で一気に消化できた。

こんな...、こんな罪を罪とも思わず、平然と生きてきた者のために、キリストは十字架にかかったというのか...。

だめだ、赦さなければいけない! このままではいられない。

「Jを赦すこと」 それが、神様に対する、せめてもの、今の自分のできること。それが出来たとき、何かが変る気がした...。

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<マナの自己解説>

証シリーズ「@追憶」の第8話です。前回までのお話はこちらからどうぞ。

今回は長くなりましたね。いよいよクライマックスです。今回はほとんど解説は不要ですね。
聖書を、研究者のような目で見ていた私。第6話で書いた、「私にもっとも欠けていた事」とは、聖書を自分のこととして読む姿勢でした。自分のための十字架であり、罪の赦しなのだということ。このとき、ようやく目が開かれたのですね。

姉には、このあと手紙でお詫びをして、その後は、黙認...なのかな? 何も言わないです。クリスチャンの妻と結婚するときにも、トラブルを覚悟してたのだけど、うまくやってくれています。

※の「ある本」は、ちょうどその時読んでいた、みなみなななみさんの「信じてたって悩んじゃう」(いのちのことば社)です。この本はまんがとエッセイのドッキングで、とても読みやすく、面白いです。お勧めです。この本の第1話は、とくに必見と言っていいです。

さて、この頃、後に妻になるMと、Mの親友Iに、随分助けられました。二人とも同い年の青年会メンバーだったのだけど、たくさん話を聞いてもらったり、アドバイスをもらいました。そして、たくさん祈ってもらいました。
Mは常に控えめなのだけど、聖書に対する理解が深く、言うべきときにはしっかりと意見を言いました。だからこそ、今となりで私の妻をしてくれているわけです。
Iは、クリスチャンとしての生き様を示してくれ、またよく私の疑問に答えてくれました。Iさんは、未だにクリスチャンとしてとても尊敬している人の1人です。しばらく会ってないけど元気かな?

いよいよ次回、クライマックスの後編! もう少しお付き合いをお願いしますね。

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コメント

みなみななみさんの『信じてたって悩んじゃう』、いい本ですよね。私も、好きです。

投稿: さわ | 2007年4月13日 (金) 01:28

さわさん、いらっしゃいませ。
あの本は、とてもタイムリーなときに読んでいました。神様のなさることは、細かいところまで実に、よくされていますね。すばらしいです。

投稿: マナ | 2007年4月13日 (金) 05:45

おはようございます。素晴らしい証に感謝します。
「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 (1コリ13:13)」
わたしも自分の視点だけの信仰が先立ち、愛と希望の大切さを忘れているときがあります。
少し違う話ですが、ある牧師は「千の風になって」の歌をどう思うかと信徒に聞かれたとき天国に行けない呪縛霊だと思うのであまり良い歌ではなでしょうねと言いました。ある信仰の先輩は天国から見た素晴らしい地上の風景だよと言いました。真実はどこにあるか分かりませんが、多くの疑問に包まれて生活しています。それらは全てを、私の主イエス様の示す愛と希望を礎にして、委ねていきたいと思っています。
マナさんを見習って、止まっていたブログを書く気にもなってきました。
主イエス様の恵み溢れた転会式になりますようお祈りいたします。

投稿: Hatto | 2007年4月14日 (土) 08:08

Hattoさん、こんにちは(^^)
イエス様の教えることは、「愛」。一言でいえばすれに尽きるんだろうなと思います。すべてのことは、そこから生まれている。
それがなければ、どんな正義も意味を失う。
深い深い真理だなと思いますね。

ブログ楽しみにしていますよ。一緒に書いていきましょう!

投稿: マナ | 2007年4月15日 (日) 21:51

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