職場の中でクリスチャンであることの偏見との戦いの「その4」(最終回)です。
その1 マナどん引きされる
その2 偏見との苦闘
その3 転換点
も良かったらご覧ください。
他の職員の中にキリスト教アレルギーは消えつつあることを感じてはいましたが、それでも「宗教話(聖書の話)を話題に出さない、加わらない」姿勢は続けていました。かつてのアレルギーを見ていただけに、やはり恐かったのです。
しかし、このままではいつまでもかわらない。そこで私は、かけにでました。それは、ターニングポイントになった所長の死から、1年半後。
「今度、教会関係の知り合いのシンガーソングライターが盛岡に来るのだけど、ここで歌ってもらったらどうだろう?」
このころ、名古屋を拠点に活動している旧知のゴスペルシンガーの米田浩司さんが、盛岡に来る情報を得ていた私は、職場のミーティングで提案しました。ゴスペルに加えて、利用者が知っているような古い歌を交えてもらうことを条件に。
キリスト教的要素が排除されてきたこの施設。キリスト教を嫌っていた職員たち。
みんながどんな反応を示すか...。それは、大きなかけでした。
「すごいね。そんな人が来てくれたらとても感謝だね。」「ぜひ、来てもらいましょう。」「どんな人なのか教えて。」
とても小さい施設なので、慰問にきてくれる方も少なく、こういう機会を欲していたという事情もありますが、予想以上に好意的な反応で、拍子抜けするくらいでした。
コンサート当日、始まる前に米田さんと二人で祈りました。それは、この施設で勤めて以来、施設内での初めて声に出した祈りでした。
コンサートは大成功。利用者さんの中には、身を乗り出して米田さんに握手を求める人もあるほど。大好きな米田さんの歌が、この施設で歌われていることが、私にはあまりに感動的で、涙をこらえるのが大変なほどでした。
事後、職員もとても喜んでくれて、盛岡に再び来ることがあったら、ぜひ呼んでほしいと言われたとき、私の4年に及ぶ忍耐の時間は終わったことを悟りました。
それから...2年。
私がクリスチャンであることを、どうこう言う空気は一切ありません。私も、自由に話せるようになりました。(それでも、誘うような姿勢や話は遠慮していますが...)それどころか、例えば仏事のようなことからは、私に対する配慮すらしてくれるようになりました。「一クリスチャンとして」認めてもらえている。
こんなに喜ばしいことはありません。
自分がクリスチャンであると表明した時、人間関係に不穏な空気を作りましたが(その1参照)、やはりそれは必要だったと思います。隠していたら、(マイナスからとはいえ)スタートすらできなかった。
自分はたいしたクリスチャンではないですが、やはり自分を通してクリスチャンを見てほしかった。(その2参照) こんな私なので、「クリスチャンってこんなに清く正しくなんだ」とは見てくれませんが(笑)、クリスチャンは特別な人ではなく、神様を信じているという以外、普通の人なんだとわかってほしかった。
そして、できればその「神様を信じている」という違いを、感じてもらえたら喜ばしいことですよね。
この、日本では少数派のクリスチャン。社会の中で何かと大変なことはあります。今回は、ひとつ乗り越えたわけですが、また同じような壁は必ずやってくることでしょう。
それを、乗り越えながら、少しずつでもクリスチャンとして、成長させてもらえるのだろうなと、マナは考えています。常に再スタートなのだと。
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