2012年7月 7日 (土)

娘の役割分担

なかなか更新できません。5月が仕事で心身両面で大変だった話を書きましたが、6月はとにかく忙しくて、ほぼ全日残業しなければならず、身体的にきつかったです。
たまの休みにも、利用者に変化があれば、家にいながら電話で相談をうけ、あちこちに連絡を取ってサービスの手配をしたり、もう休みが休みではなかったり。
これはケアマネの宿命ですが、特に一人でやっている私は、余計そういう負担が多かったりするのです。しんどいね~。

さて、今日の本題は仕事の話ではなく、ついに5月末で3歳になったマナ娘(長女)のことです。この子は、なぜかパパとママで役割分担をきっちりしたがるのです。たとえば、歯磨きはママ、朝の着替えはパパ、夜の着替えはママなどなど、こと細かに定まっているのです。これが破られると、猛烈に抗議がきて、やり直しになるのですね。

一時ママが入院していたこともあり、長女の世話は私の役割が多かったのですが、娘の心変わりで、少しずつママに変わっていって、私の役割はどんどん減る一方。今や私の独自の役割は、前述のほかには、「食後に口の周りをふきんで拭く」「食品庫の扉をあける」など、はっきりいってどうでもいいような役割ばかり。あ、大事な役割は「トイレトレーニングの
成功シールを貼る」というのがあるか。(笑)

役割が減れば、私は楽だけど、ママの負担が増えて、様々なことに余計に時間がかかって、結果私の自由になる時間が減るという形で跳ね返ってくるのです。

このこだわりの多さは、どう考えても私に似たんだろうな~。

とはいっても、私の最後の砦「お風呂にいれる」「寝かしつけ」の重要な2つの仕事だけは
確保しています。(これがなくなったら楽だけど寂しいだろうな~)

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2012年6月 4日 (月)

ケアマネに必要なこと

しんどい5月でした。GWが始まると同時に咳が出始めてマスクをしたら、結局5/30まで、マスクを外せなくなりました。途中、数回は病院にもかかったり、熱もあがったり。

子どもができてからというもの、子どもが風邪をひくと私もだいたいもらい、子どもはさっさと治るのに、私は引きずるというパターンが定着しています。この回復力の違いが、歳の差ということでしょうか。(笑)

まあ、年齢のせいだけではなく、仕事の疲労感が病気の治りを悪くしている最大の要因でしょう。5月は、本当にきつかった。職場の同僚たちからも、倒れるのではないかと心配されるほど消耗しました。
ケアマネージャーとして受け持っているケースのいくつかが、非常に困難な状態になり、その対応で心身をすり減らしているようでした。

私と同時にケアマネ資格を取得し、同時にケアマネとしてスタートした友人は、「ケアマネに一番必要なのは、精神的なタフさと、気持ちの切り替えだと思う」と話していましたが、その意見はまさに真理だと思います。
困難事例にあたったとしても、その本人や家族の大変さに同情していると、自分まで苦しくなってくる。ケアマネは20件前後のケースを受け持っているのだから、一つのケースで心を捕らわれているわけにはいかないのですね。その人のケースを考えているときでも、別な件の電話がかかってきて相談があったら、完全に気持ちを切り替えないといけない。

ましてや、仕事を離れたら、その受け持ち20人以上の本人・家族の苦しみを完全に頭から追い出してリフレッシュできないと、心がもたない。

昨年くらいまでは、まったくそれができなくて、休みの時まで苦しかった。
今、5月でケアマネ2年生になって、ようやく少し、切り替えができるようになってきた。
(皮肉なことに、生まれたばかりの次女が大変で、家の中も嵐だったため、否応なく気持ちを切り替える必要があったのですがね。)

5月は本当に大変だったけど、それを乗り越えて、また一つ、自分でも精神的には少し成長できたような気がします。ケアマネ技術はさっぱり成長しませんが...(笑)

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2012年5月 7日 (月)

祝福のクリスマス@回顧次女誕生

第一話 苦しみの始まり
第二話 10年目のプレゼント
第三話 歓喜にしのびよる影
第四話 命を守られる主

次女誕生のエトセトラ <第五話(最終話) 祝福のクリスマス>

一週間を集中治療室で過ごした次女。会うためには、手袋はもちろん、使い捨ての帽子、エプロン、マスクまでさせられ、二重三重の消毒をしてから、ようやく無菌室に入室できるという厳重さ。
人生の中で、一度あるかないかのような経験を、生後1ヵ月で経験した次女。

12月21日に退院後も、しばらく咳はやむことはなく、完全に止まったのは、最初の咳から6週間もたった、今年の1月中ごろだった。
その間、心身ぎりぎりだった私も、数回高熱でダウン。長女も、咳に加えてたびたび熱をだし、保育園を休まなければならなかった。家族の中では、比較的守られたとはいえ、妻も体調を崩しぎみだった。
最大の試練の12月を過ごした私たち家族。

次女は、この後もたびたび病気をもらっており、もしかしたらそういう賜物を持って生まれたのかもしれない。だけど、だからこそ、主の守りの大切さが、よりはっきり見える子でもある。
そして、この試練の期間で最も成長した長女。典型的内弁慶で、社交性が欠けていたのが、思いがけず始まった保育園に通うことで、だいぶ人馴れすることができた。
また、病弱な妹を、本当に慈しみ、可愛いがる、優しいお姉さんになっている。(今のところは(笑))
私たち夫婦も、この数ヶ月の苦難を耐え忍んだことは、きっと今後の子育ての中で力となることだろう。

神様は、私たち家族に大きな試練を与えたが、それも糧としてくださったようである。

全員が体調不良で、一体どんなクリスマスになるかと思ったが、家族が4人になって初めてのクリスマスは、教会には行けなかったものの、祖母も加えて、なんとかみんな揃って家でお祝いできた。

いつか娘たちはこの家を巣立っていくだろうが、そのときまで、いつも4人が揃って、互いにクリスマスを祝福できるそんなファミリーでありたい。神様の守りのうちに...。

(この連載終了)

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2012年4月23日 (月)

献児式ふたたび

昨日の日曜日は、現在五ヶ月になる次女の献児式がありました。
長女の時の献児式は、やはり五ヶ月くらいでしたが、とにかく不機嫌でぐずり、大変だった思い出があります。今回は、おとなしくしてくれればいいな~と思っておりましたが...。

ところで、長女が赤ちゃんの頃は、礼拝中も毎回頻繁にぐずり、そのたびに私や妻が、
だっこしたりして、あやしてあげなければならなかったのものでした。
ところが次女は、今現在までですが、礼拝中もまったく泣く事がなく、おとなしい。
かえって、まもなく3歳になろうかという長女の方が、なんやかやと相手をしなければならない。

ということで、期待通り、予想通り、次女はおりこうさんに牧師に祈ってもらい、無事に献児式を済ませることができました。

妹が大好きで大好きで、パパやママよりも次女が好きと口にする長女、もちろん私たち夫婦、おじいちゃんやおばあちゃん、そして教会のみなさん、そういった人たちに見守れて
献児式をすることができました。愛されている次女。

今、次女の出産前後の話を連載していますが、この子は生まれる前からこれまで、次から次から試練にあってきました。(実は、先週までロタウィルスで一週間苦しんでました。)
名前のとおり、神様の助けが特に必要な子のようです。
神様におささげした次女、果たして神様はどのような道を用意しているのでしょうか。
主を信頼して、子供たちとともに歩んでいきたいものです!

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2012年4月19日 (木)

命を守られる主@回顧次女誕生

第一話 苦しみの始まり
第二話 10年目のプレゼント
第三話 歓喜にしのびよる影

次女誕生のエトセトラ <第四話 生命を守られる主>

生後3週間で始まった次女の咳。
治まるどころか、ひどくなる一方で、ついには母乳やミルクを飲むにも支障が出てくるにいたって、受診させたところ、大学病院を紹介されると、「RSウィルス感染症」と診断され、入院(母子)することになった。

また入院か...。
家族が引き離されたあの生活が再び始まるのかと思うと、気が重くなるが、
酸素テントの中で、苦しそうに「コホン、コホン」と繰り返す次女を見ると仕方がない...。

しかし、この子の最大の試練はそれから数日後の12月12日(ジャスト生後1ヵ月)に訪れた。

その日も、相変わらず咳を続け、呼吸も苦しそうだった。すると警報音が鳴った。
この子の状態が悪化すると警報音が鳴るシステムになっていたが、それほどでもなくても鳴ることも多く、やってきた看護師も、最初はまたかと思って、妻と話をしながら機械を見ていたのだが、もう一人の看護師がやってきて一気に事態が緊迫した。

「ちょっと、赤ちゃん、顔色が悪いんじゃない。」
「すぐ、先生を呼んで!」「はい!」 バタバタバタ...集まってくる医師と、看護師。
「呼吸が出来ていない」
「早く!」 「急いで!」

そばにいる妻が、呆然として何もできずいる中、恐怖心を増す言葉が連呼されていた。
次女が苦しみ、妻が祈り始めた頃、私も苦しんでいた。

この2ヶ月あまりの試練で、私も気付かないうちに心身が疲弊していたらしい。
その日は、職場で朝から嘔吐を続け、ダウン。自宅に戻り爆睡。
妻からの緊急メールにも気づいていなかった。
昼過ぎにようやく気付き、あわてて病院に行くと...

一時、仮死状態にまでなった次女は、集中治療室(ICU)に移され、点滴で栄養、人口呼吸器までつけられ、他にもいくつも管を繋がれ、たくさん機械が電子音を響かせている中に横たえられていた。

それでも、あんなに苦しそうに咳をしていた次女が、咳もせず安らかに眠っているのをみて、少しほっとした。

神様、この子は名前の通り、神様の助け無しには生きられない子のようです。
どうぞ、これからもこの子をお守り下さい。

それから、一週間この子はICUで過ごした。

<続く 次回最終話>

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